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2012年11月8日

共に学ぶ

クエストの授業がある日は、学校に到着するまでの1時間を
生徒一人ひとりの顔を思い浮かべながら、
「今日はどんな風に声を掛けようか」と考えるのが
習慣となっている。

それは、思わずわいてくる感情的な言葉をそのまま生徒に
ぶつけてしまわないために始めたことだった。

話し合いをしてもなかなかアイディアが膨らまず、
人任せにする生徒の姿や、インターネットに頼りきって
自分の足で外の世界を見ようとしない行動力のなさに、
もどかしく思い、ついネガティブな言葉が
頭に浮かんできてしまうのだ。

「なぜ、色々試してみない?」
「外にヒントは沢山転がっているのに、なぜ探しに行かない?」
「なぜ、頭ばかりで考えて行動を起こさない?」
たくさんの「なぜ」が頭から溢れ出す。

でも、「なぜ?」と生徒に問いかけたところで
そう簡単には行動を起こしてはくれない。
実際、去年の授業でも、頭で考えるだけでなく、
まずやってみるということを何度も話してきたが、
自分の経験や想像の範疇を超えたことに直面すると
抵抗感の方が勝ってしまい、ほとんどのチームが
あまり踏み込めないままで終わってしまった。

クエストの授業を始めてから今年で3年目。
正直、こんなに悩む日が来ることなど想像していなかった。
「自分の進行の仕方がいけないのだろうか」
そう思うことが格段に増えた。
悶々とした気持ちがいつも離れず、授業をすることが
苦痛に思えることすらあった。

でも、朝の習慣を続けているうちに
少しずつ私の中に変化が訪れた。
生徒たちの行動を自分に置き換えるようになり、
今まで見えなかったものが見えるようになってきた。

たとえば、ブレインストーミングがひと通り終わって
企画案を組み立てていく話し合いのとき。
企業から与えられた課題について、その背景や
企画を考えるポイントなどが詳しく書かれたプリントが
配布されているにも関わらず、
彼女たちはすぐにその存在を忘れてしまう。
結果、とんでもない的外れな方向に話が進んでいく。

「なぜ、確認しながら進められないのだろうか」
と思っていたのだが、いざ自分に置き換えてみると
決して自分も出来ていないことに気がつく。
実際、大人同士が話し合いをしていても、
本来の目的を見失って、脱線することばかりだ。
社会に出れば、自然と話し合いする機会が増えるが
会議が円滑に進んだ経験なんてほとんどない。

生徒たちが特別注意力散漫なのではないか、と思っていたが
ちょっと別の視点で物事を見てみると、とんでもない。
私は、大人でも出来ていないことを
彼女たちにやらせようとしていたのだということに気づく。

注意力がないのではなく、
物事を順序立てて考えるという経験が少ないだけ。
せっかく、ブレインストーミングで生み出した
たくさんのダイヤの原石を見落とし、生かしきれないのは
彼女たちに問題があるのではなく、拾い上げるための
技術を学んでいなかったり、視野を広げる術を
身につけさせていないからだ。

「生徒の姿は自分を映す鏡」。
そんなことが自然と頭に浮かんだ。

自分が大して出来ていないことを棚に上げて、
彼女たちが上手く話し合いが出来ないことに
やきもきするなんて、何と心の狭いことか。

話合いが上手く出来ないならば、一緒になって勉強すればいい。
私だって上手くないのだから。
無理に背伸びせず、生徒と一緒に実践しながら学んでいこう。
そう思うようになったら、気持ちが一気に軽くなった。

どんなやり方が正しいのかわからないが、
何か試してみなければ始まらない。
2時間続きの授業の間中、ひたすら生徒の輪の中に入って、
同じ立場で話し合いに参加するようになった。
自分の話し合いの技術が少しでも良いものになれば、
それを見た生徒もきっと変化するはず。

行動力のなさも、まずは私がやって示せばいい。
臆病で行動力のない自分が先頭に立って挑戦していけば、
きっと何か感じてくれるに違いない。

朝のイメージトレーニングで、彼女たちにどんな言葉を掛け、
自分がどんな姿を見せればよいか考え、
それを積極的に試すようになってから、
ほんの少しだけ変化があった。

先日、生徒が一枚の紙を持って職員室にやって来た。
「先生、こんなことを考えてみたので、見てもらえますか」。
これまで見たことのない風景だった。


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